家族がガンと宣告された。
終末期を迎え、余命いくばくもない…。
家族の病気に直面すると、頭が真っ白になりますよね。
我が家は 父が大腸ガンで4年以上闘病の末、ついに終末期を迎えました。
父がどんな準備をしてきたか?
父を囲んで母娘でどんな葛藤があったのか?
実際にどのようにガンの終末期と向き合ったのか、我が家の例を紹介します。
この記事はこんな人におすすめ
- 家族がガンになった時、どんなことが必要になるのか知りたい人
- 家族のガンに接した リアルボイスが知りたい人
- 終末期を迎えるにあたって、医療以外の側面を知りたい人
この記事で伝えたいこと
- ガン当事者・家族と今後を話し合っておこう
- 1人の若者が複数のシニアを支えるって こういうこと
- 片付けは、残された人への思いやりだ
4年前 大腸ガンになった父
まずはわたしの家族構成について触れておく。
父 76歳
現在、終末期。2020年(4年前)に大腸ガンを患い、ステージ3だったが 4年前に摘出。
しかしリンパ節や肺に転移しており、化学療法でずっと闘病してきた。
いよいよ 化学療法の副作用に耐えかね、効果的な治療が見込めないことから
1ヶ月前に化学療法をやめ、緩和ケアに切り替えることになった。
血便・血尿は日常茶飯事。ストーマ(人工肛門)を使っているので、その対処も大変に。
今月 のべ5回目の入院で、肝臓に転移したガンが打つ手なしと知らされる。当然 本人も死期が近いことを悟っている。
認知能力はしっかりしていて、医師相手に長い呪文のような薬品の名前もスラスラ出てきてみんなに驚かれるほど。
MBTIは 推定 ISTJ
母 77歳
父と2人暮らし。わたしの忙しさを気遣い、連絡を我慢しているとのこと。
朗らかでおしゃべりが大好き。最近は耳の聴こえが悪くなっている。
ストーマの対処なども手伝い、父との闘病をずっと隣で支えてきた。
MBTIは 推定 ESFP
わたし 38歳
母40歳・父39歳の時に生まれた娘。ひとりっ子。
フルタイムで働く営業で2児の母。MBTIは ENTJ と自認している。
両親の家は市内とはいえ、電車で約1時間とアクセスが悪い。
ひとりっ子であるため、高校生の時には 自然に
両親の介護は わたしの役目だなぁ」と自覚していた。
この(高校生)時、同居する祖母の介護をする両親を見ながら自覚したことを、すごく覚えている。
今の父の状況を 割とスムーズに受け入れられたのは、学生時代に 祖母の介護が身近だった からかも。
人はどう死ぬのか?
タイムリーなことに、人の死について、おすすめしていただいた本を読んだ。
在宅医療に携わった医師の生々しい実例の数々は、父の現在の状況とも重なることが多く、とても参考になった。
\ Audibleでも聴けるよん /
Audibleなら、家事をしながら 散歩をしながら 手軽に知識をインプットできるよ。
「人生100年時代」は 100歳まで元気に過ごせる というわけではない。
どう老いていくのか、みんなあまり立ち止まって考えないよね。どこかドラマの世界というか。
「わからない」「経験したことがない」が正しいかもしれない。
100年ずっと今のように暮らしていけるなんて、低確率なのよ。
ぽっくり死ぬ人は、若い頃 不摂生してきた人。
健康維持に努めてきた人ほど、苦しんで亡くなる傾向らしい。
父はタバコも吸わず、酒は60歳まで、毎晩 缶ビール1本までと決めていた。
「薄味!薄味!」と言っていて、外食も大してしない人だった。
運動もしていたし、健康維持に努めてきたのになぁ。
「まさに父のことやん!」と思った。こんなに努力してきたのにね、せつないよね、、、本人もショックがっていたよ。
必ずしも救急車を呼ぶことが正ではない。
悲惨な延命治療が 実際に発生している。
本人の意思を無視した 延命治療がすべてではなく、本人がどう最期を迎えたいか?が大事。
その意志を家族が理解し、尊重するプロセスが必要、と本で学んだ。
まさに 化学療法をやめる決断をした父に重なる。
父の主治医の話では、本人が「自宅に帰りたい」と言っても、受け入れる家族が拒否することもあるそう。
ふたつ返事で受け入れた母は、すごいと思ったし、これまでの関係性がそうさせているのだなと感じた。
このことを知らないと、いざ 目の前で本人がめっちゃ苦しんでいたら、
どうしていいかわからなくて「とりあえず救急車 呼ぼう(汗)」ってなりそうじゃないですか。
とにかく医療で手を尽くしてもらわないと、なんだか自分が「医療という機会、ひいては命を奪っているように思えてならない」って自責の念に駆られるとでも言うのかな。
だからこそ、ちゃんと家族で理解し共有するプロセスが大事なんですよね。
ヒトの機能がどう衰えていくのか、
そして 救急車を呼ぶことがすべてではない、
これだけでも予備知識として、
全人類知っていたほうがいいと思う。
ガンは死に備えられる
前述の本で「ガンが 死因 人気第1位」と紹介されていた。
当事者からすれば、ガンの痛みだけでなく、その後の化学療法の副作用に苦しんできたことを思うと、半ば信じがたい。
でもある日突然亡くなってしまうケースより、家族も心の準備ができるのがガン。
「もっと〜〜〜してあげたかった」
「もっと〜〜〜〜伝えたかった」
を防げる点で、ありがたいことかもしれない。
検査結果を医師から聞いたあと、
「やり残していることがある、だから早く退院したい」と父。
医師も母も それを尊重し、結果を聞いた翌日には退院。
次に 急変した際には、まずは訪問診療の主治医に電話し、その主治医のジャッジを以って救急車を呼びましょう
と手順を確認。父が救急車に乗って向かう先は、この病院(緩和ケア病棟)。
このプロセスをみんなで共有しておけば、突然に弱い 母もわたしも 落ち着いて対応できるだろう。
死と向き合うよりも つらいこととは
今回の入院の検査結果があると知らされた時、
母から下記のメールが届いた。
検査の結果、肝臓も相当悪くなっていて、これからどうしたらいいか決めなくてはならない悪い状態です
お父さん、話ができなくなる可能性大になってしまいそうです
お母さん、今度ばかりは(お父さんと)2人で話を聞くのは辛いです
これはいよいよ大変だと、急遽 休みをとって、
わたしは 翌日 検査結果を聞きに行ったのである。
ある程度 備えていたこともあってか、医師からの話は冷静に受け止めることができたと思う。
それよりもしんどかったのは、母のことだった。
この日、母との会話がとにかく噛み合わなくって、終始しんどかった。
母は聴こえが悪くなっていて、それもコミュニケーションがうまくいかない要因だと思う。
軽く言った言葉を 重く受け止め過ぎ
頑張るな、いつも あなたは頑張りすぎだ
あなたが心配。何が辛いことがあるんじゃないの?話して?
→ わたしの悩みをほじくりだそうとしている
なんで やさしい物言いをできないのか
→ 自分が欲しい言葉を言わせようとする
頼る相手はあなたしかいないんだから、頼らせて
→ さっきは軽く考えろと言いながら、急に重くなって矛盾を感じる
私(母)ってしんどそうに見える?
→ 他人の目にどう映るか、他人との比較ばかり気にすることにイライラする
あなたは一度も私(母)を心配してくれなかった
→ そんなことはないと思うんだけど…伝わってなかったのかな。
4年間の介護のしんどい・辛いエピソードのフルコース。
1日でいろんなことを聞くには、受け止めるわたしがキャパオーバー。
ただでさえ、医師の話に頭がフル回転していたというのに、どっと疲れて、終いには母娘で喧嘩になる始末。
父が他界したとして、今後、残された母と うまくやっていけるのだろうか…
心底 憂鬱になりながら帰宅したのでした。
こんなはずじゃなかったのに。
父との引継ぎ
検査を聞いた2日後、父からの引継ぎを聞くために実家に向かった。
これは前から約束していたことで、
手続き関係の話がメイン。
引継ぎを受けたのは下記。父らしく、しっかり時系列で表にしてまとめてあった。脱帽。
- 登記簿
- 保険
- 通帳(遺産)
- 印鑑登録書など公的な書類
- 株と確定申告
- 記念切手と古いお札(コレクション)
- 固定資産税の支払い
- 祖母の遺産状況
- お墓の移設について
- 自身のお墓について
- 伯母との公正証書(後見人制度と伯母の遺言)
でね、思ったのが
コレって終末期の人に限った話じゃないよね?ってこと。
30代だって、明日 突然 交通事故に遭って帰らぬ人になることだって、ゼロじゃないよね?
日頃から、身辺を整理し、引継ぎできる状態にしておくことって 何もシニアに限ったことじゃないんです。
残される人のことを考えたら、片付けって思いやりなんだよ。
仕事でたっっくさん引継ぎ資料作ってきたけどさ、わたし自身の引継ぎ資料ってあるのか?いや ない。
父との引継ぎを通して、自分自身のことも見つめ直したのでした。
死んだ後 家族に見られたくないものは、
今すぐ捨てや!!!
知らなかった老老介護
父の引継ぎの中でも わたしが重いと感じたのが、伯母との公正証書。
いわゆる 伯母の遺言です。
父は5人兄弟の末っ子で、
12歳離れている姉(伯母)がいる。
伯母は独身で、家族がいない。
施設に入ろうと思ったら「連帯保証人」が必要で、きょうだい皆、連帯保証人を引き受けなかった。
シビア〜〜〜!
でもそうだよね、連帯保証人って、
借金を肩代わりするイメージがあるし
きょうだいといえど、簡単にハンコを捺せないんだよ、これが現実。
そのため伯母は施設に入れず、自身が購入したマンションで 一人暮らしをしている。
伯母は 数年前に脳梗塞をやっていて、半身不随。
元気で意識もしっかりしているが、
上手く喋れない。
だから、ケアマネージャーさんやヘルパーさんがお世話に来ている。
これまでも、わたしの両親はたびたび伯母に会いに行ったり、面倒を見たり、時には 嫌味も言われながら、対応してきたんだそう。
脳梗塞をやった当初は、一瞬 父が伯母を引き取るという話も出たらしいが
今の状況を考えると、
引き受けなくて正解だったと思う。
母に老老介護を2人分やらせるなんて、
物理的に無理すぎる。
伯母と父の間の公正証書は、父が伯母の後見人を引き受ける代わりに、父が叔母の遺産を相続するというものだった。
公正証書を交わした時は、伯母が自分より早く逝くだろうと思っていたらしいが、何が起こるかわからないのが、現実の世界。
父が大腸ガンを患ってしまったため、
後見人である父のほうが先に逝きそうな状況。
この手続きをどうするのか、が
懸案事項となっていた。
母は不安だった
引継ぎの日、また母と言い合いになったのだが、
根本的な要因は「母の底知れぬ不安」だと、
この時 悟った。
今回の引継ぎは、手続き的なことがメイン。
当然 母は以前から 同じ内容を父に聞かされていたが、「とても理解できない」(父に言わせれば、理解する気がない)ということだった。
今日を経て わたしに理解させたことで、
母はとても安堵した様子だった。
加えて、父が急変した時にどうしたらいいのか、
父が他界したあと、自分はどうしたらいいのか、
その言葉にできない不安が、母の脳内を蠢いている。
母は自分が不安で溺れそうだからこそ、わたしを不安に引き摺り込むように話を投げかけてくる。
それが、わたしはとっても不快だった。
当然、そんなつもりは母にはないのだと わかっていたけど、、、深層心理でそうなのじゃないか、と感じざるを得なくてね。
わたしにとって、触れてほしくない話に、ぐりぐり棒を突っ込まれ、母との会話がとにかく億劫だったのね。
上手く言えないけど、他人の不幸を聞いて「自分だけじゃない」と安心したくなる感覚というのかな、そんな感じだった。
この日、わたしが感じていることもストレートに伝え、お互い泣きながら和解したのでした。
でもね、仕方ないよね。どうしようもない不安に、押しつぶされそうだったんだよね。
不安を可視化しよう
母にこう伝えました。
不安を紙に書き出して、まずは外に出して。それをひとつずつ 潰す行動をしよう。
例えば、「父の手続き的なことが不安」「伯母の後見人問題が不安」は、今回の娘の訪問で解決できた。
同じように、不安に思っていることを書いて、
まずは外に出す。
そうするとヒトは、それをクリアするために、どうしたらいいか?を考える思考になる。
「不安」なのは「わからない」から。
まずは目に見える状態にすることが大事。
そして、見える化された不安は、
他人にシェアできる。
わたしもその不安を潰すサポートができるようになる。
アレ、これ会社で後輩に話していることと同じだな?笑
若い人が引き受ける 少子高齢化社会
90歳の伯母の話を聞いて思うことは、
やはり女性は強いってこと。
父は5人きょうだい。
長女(90歳の伯母)・長男(他界)・次女(娘家族の近くで施設入居)・次男(他界)・三男(父)
結果的に、男性陣より女性陣のほうが長生き。
そして 「元気な人が 弱い人のフォローをしなくてはいけない」という 今の日本の高齢化社会の縮図を感じる。
半身不随の伯母は 何かサービスを受けるにしても、後見人のサインが必要だったりする。
そりゃそうだ、
身体的な状況を考えても信用力が低い。
そのために、後見人である父は
何度も呼び出されている。
とは言え、ここ数年で
父の状況も大きく変わってしまった。
昨年 化学療法の副作用が辛く、父は 伯母の代理人からの呼び出しに「駆けつけるのが難しい」と伝えても
他に ご家族はいないんですか?
他に元気な親族はいないんですか?
と質問攻めにされ、結局 大変な思いをして、両親は出向いたらしい。
このエピソードでわかるように
「伯母の面倒を見る」ということも、父が他界した場合、母1人が背負わなければならないのか?
それが、母が抱えてきた不安のひとつだった。
伯母との交わしが今後どうなるのか、わたしが公証役場に確認することになったが、
わたしも幼少期 伯母に世話になっている手前、父から後見人を引き継ぐ覚悟でいる。
人生100年時代であっても「100歳まで何事もなく元気に生きる」ことのほうが難しいわけで、
かといって、70歳ぐらいにポックリ死ぬことを選べるわけではない。
今までは、直系の子どもが当たり前にフォローしてきたのだろうけど、少子化が進む中、子がいないシニアはどうしていくのか?
これさ、実は 父方の伯母だけでなく、母方の叔母もそうなんだよね…
母は4人きょうだいの一番上。
長女(母)・次女(独身)・長男(独身・遠方住まい)・三女(息子・娘あり)
母と仲が良く、わたしも大変お世話になっている次女=叔母のことが、思い出される。
70歳過ぎてなお、
エレベーターのない団地の3階に暮らしている。
今はとても元気だけれど、
いつどうなるかわからないんだよなあ。
そうなったら、わたしも「知らん顔」なんてできないよ。
父方の伯母に話を戻そう。
祖母と同居していたからか、伯母は毎週土曜の夕方に我が家に来て、夕飯を共にするのが、ずっと当たり前だった。
会社員時代は 秘書をしていて、退職後は書道教室の先生をやっていて、羽振りがよかったことを、すごく覚えている。
お年玉も何かのお祝いも、
伯母にはめっちゃいただいてきた。
その恩を忘れたわけではない。
でも「自分に何かあった時は頼むよ」の気持ちが、そのお祝いに、ひとさじでも織り込まれていたかもしれないし、
仮に100%ピュアな無償の愛情からくるものだったとしても、恩を仇で返せない と受け取り手が感じるのは 当然ではないだろうか。
「老後は家族(親族)の世話になりたくない」と考えている人は多いだろう。
でも実際、自分の老後が思い描いたようになるとは限らない。
最後まで ひとりで生きていける保証はないのだ。
これから先、姪や甥…わたしのような 元気で若い人に、思いがけず親族のフォローが降ってくるケースが増えるんじゃないかなあ。
どう死ぬかを学んでも
当人の「死」に着目して然るべきだが、家族の死に際し 問題はそれだけではないってこと、今回わたしは痛感しました。
当人の闘病だけでなく 付帯状況がある。死に向かう悲しみに暮れている暇はないのだ。
- 老老介護状態の母
- 老老介護状態は 夫婦だけではない
- 他界した後の手続き
正直、わたしは死に近づく父のこと、父の病状よりもこの周辺のほうが この時 10倍重かったよ。
医療の側面からは、死についての教科書をぜひ読んでみて。
「人はどう死ぬのか」は、Audibleの聴き放題対象の本でした。(2024年6月時点)
Audibleなら、家事をしながら 散歩をしながら 手軽に知識をインプットできるよ。
終わりに
38歳の自分が、80歳近い両親に会い、その足で保育園へお迎えに行くと、2歳児との生命力の差にくらくらした(笑)
ピチピチのぼく
もしかしたら、わたしは育児と介護という両側面を一気に味わっているのかもしれない。
いずれは誰もが通る道。
家族について、考えてみませんか?
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